童謡詩人 金子みすゞさんの詩に「星とたんぽぽ」というものがある
星とたんぽぽ
青いお空のそこふかく、
海の子石野そのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星は目にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
札幌は1週間ほど前、最高気温が24度を記録したこともあり、現在 梅と桜が咲きそろっている。私としては茨城に続き、1年で2度目の桜を楽しむという何とも贅沢な経験だ。
桜前線という言葉があるが、九州方面から始まり、北海道の東側・釧路根室がその終着地なる。気温が上がれば花が咲く。この当たり前の事が何となく不思議でならない。風が吹けば花は散り、夏には青々とした葉を輝かせ、秋冬にはじっとこらえる。そして春にはまた美しい花を咲かせ、桜前線のはじまりとなる。
気温は肌で感じることはできても、目で見ることはできない。その目に見えぬものにもようされて、桜はその花をいっぱいに咲かせるのだろう。
先日「思食」というお釈迦様の言葉について書かせていただいた。桜を見ながら改めて思う。人の想いや、私にかけられた願いを見ることはできない。しかし、目には見えぬ気温にもようされ桜が花を咲かせたように、私にかけられた願いや想いにもようされて、私は私という人生の花を咲かれるのだろう。
見えるものだけを見つめ信じ歩んでゆくと、もしかしたら私の人生をしっかりと支えてくださっている大切なものを見落としてしまうのかもしれない。その大切なものが「見えぬけれどもあるんだよ」という事を、気温に抱かれ咲く桜が、私に教えてくれているように思えてならない。
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